すき焼き歴史
- すき焼きは今や日本の代表的料理と
言えるほどの人気メニュー。
同時に優れた食材が豊かな味わいを
広げる上州群馬のおもてなし料理でもあります。
- お肉や野菜をお鍋ひとつで
手軽に楽しめる手軽な料理でありながら、
贅沢な味わいが楽しめるのが
すき焼きの魅力。
- すき焼きの誕生から、
半世紀を経て今や、すき焼きは、
憧れのすき焼き専門店で頂くような
日本の高級料理としても、
家庭のご馳走メニュー
としても親しまれています。
そんなすき焼きの歴史を
皆様はご存じでしょうか?
- 今ではすっかり日本料理として
お馴染みのすき焼きですが、
実はその原型となるものは
時代の鷹狩りの際に
振る舞われていた
御鷹匠料理にあったとか。
人気メニューすき焼きの歴史を、
上州群馬・舟木亭がご紹介します。
すき焼き起源 群馬にも縁♪
- すき焼きは今やお馴染みの
おもてなし料理ともなっていますが、
その原型となるものは江戸時代。
将軍が盛んに行っていた鷹狩りの際に
休憩を兼ねて屋外で振る舞われていた
御鷹匠料理(ごたかじょう)にありました。
- そんな鷹狩の巣鷹を献上していたのは、
現在の群馬県多野郡上野村。
かつて江戸幕府の天領(直轄地)。
雄大な自然のもと、
繁殖や育成が難しい
巣鷹の保護をしていました。
すき焼き 原型はセレブなアウトドア料理
- 江戸幕府に仕える
御鷹匠(ごたかじょう)による
御鷹匠料理は
鷹狩りの獲物の雉や鴨、
ときには猪やカモシカなどで、
独特の作法を用いての
野外で料理するというもの。 - 当時、一般的には
肉食は解禁されておらず鷹が狩った
獲物はもちろん
滋養豊富なご馳走でした。
ご鷹匠がその場で捌き、
農具の鋤に似た鍋で焼いて、
砂糖と醤油で照り焼にして
食べるという贅沢なもので
現在のすき焼きとは
随分趣が異なっていたようです。
すき焼きのおいしい工夫
- ところが盛んだった鷹狩りも、
生類憐みの令が発せられると
段階的に禁止となってしまいます。
そんな御鷹匠が
新たな活躍の場を江戸市中に
移して始めたのが
御鷹匠料理の店でした。
- 代表的な料理は焼き鳥や軍鶏鍋で、
豊富に採れる野菜も
料理に加えられるようになりました。
イノシシや鹿などより
脂味が少ない軍鶏を食べる時、
味に深みが出るように
おいしい工夫をしたのが
生卵をつけて食べることだったそう。
- あつあつの肉を適度に冷まして
美味しくいただける効果もあり、
これが現在のすき焼きに
生卵を絡めて食べるという
習慣に受け継がれているのですね。
すき焼きの誕生ーすき焼きと牛鍋
- こうして軍鶏鍋にヒントを得て、
明治時代にすき焼きが生まれます。
1872年の冬に明治天皇が
牛肉を食された事が
きっかけで一般的にも
肉が解禁されました。
- 関西地方では「すき焼き」
関東地方では「牛鍋」が
庶民の間で大流行しました。
すき焼きといえば関東風、
関西風とよく言われますね。 - 関東は牛鍋、関西は
すき焼きと
思っている人も多いよう。
でも実は、牛鍋とすき焼きは
もともと別の物です。
- 関東での牛鍋は、
厚切りの牛肉を野菜や
豆腐白滝と一緒に砂糖や醤油、
酒などで煮ることで、
まだ肉の匂いや味に
慣れていなかった当時の人にも
受け入れられ関東では
牛鍋店が人気となりました。
- しかし1923年の関東大震災で
大被害を受けた関東の牛鍋店に代わって
関西のすき焼き店が
関東へ進出をして、広まりました。
やがて関西の「すき焼き」と
関東の「牛鍋」が次第に
融合していったのです。
- 関東風すき焼きといえば
手早く割下を使い、
お肉と野菜をお出汁で煮てから
生卵に絡めて食べるいうのが
家庭で作る一般的なすき焼き。
これが関東は牛鍋。
と言われる所以かもしれません。
- 一方、「関西風のすき焼き」は
調理方法は砂糖と醤油で肉を焼き、
後から野菜を入れて
酒や水でシンプルに調味方法で、
生卵を使うのは同じですが、
高級料理として
クラシックを維持しています。
現在「すき焼き」は世界中に
知られる料理となりました。
- 全米ビルボードチャート1位を
獲得した唯一の日本の歌を
ご存知でしょうか?
それは坂本九の「上を向いて歩こう」。
「Sukiyaki」という
英語タイトルが付けられた
日本人にはお馴染みの
昭和の名曲です♪